ベイルズ2等軍曹は虐殺を認識していた?
military.comによれば、アフガニスタンで大量の民間人を虐殺したロバート・ベイルズ2等軍曹(Staff Sgt. Robert Bales)の同僚が証言し、ベイルズは虐殺を告白して、血がついた衣類を漂白するのを助けるよう依頼し、自分のラップトップコンピュータを壊したと証言しました。
検察官は、これが2つの村で16人を虐殺した夜に、彼が何をしていたかを知っていたことを示すと言いました。
1時間以内に、ジェイ・モース中佐(Lt. Col. Jay Morse)は、ベイルズが虐殺の前の夜、キャンプ・ブランベイ(Camp Belambay)の前哨基地で、2人の戦友と共に、報復殺人に関する映画を観て、プラスチックのボトルの密輸したウイスキーを分け合い、戦友の一人に足を失わせる攻撃について議論しました。1時間以内に、ケープを着たベイルズは前哨から抜け出て大量殺人をはじめたと、モース中佐は言いました。彼は1つの村を攻撃した後、キャンプ・ブランベイへ戻り、そこで彼は戦友を起こして、彼がしたことを報告しました。同僚はベイルズを信じず、また眠りについたと証言しました。ベイルズは再び外へ向かい、戻る前に2番目の村を攻撃しました。血まみれで疑わしい様子に、戦友は彼に武器を引き渡すように命じました。
衛生下士官のジェームズ・スティルウェル1等軍曹(Sgt. 1st Class James Stillwell)は火曜日、ベイルズが血まみれで、汚れの形から彼自身の血ではないことを理解したと言いました。「私がしゃべれば、君たちは私について証言しなければならなくなる」とベイルズが言ったと、スティルウェル1等軍曹は言いました。この声明は、ベイルズが何をしていたかを分かっていたことを示すと検察官は言います。兵士はベイルズが拘禁されたあとで、彼らに「私は正しいことをしたと思っている」と言ったと証言しました。「悪いことだ。とても悪いことだ」と彼は付け加えたといいます。スティルウェル1等軍曹は、ベイルズが彼に、キャンプ・ブランベイの兵士は戦いの季節が来たら彼の行動に感謝すると言ったと言いました。「君たちは6月になったら私に感謝するようになる」。
別の時点で、ベイルズは攻撃された村の家族の数について「4つは多すぎると思う」と言ったと、モースは月曜日に言いました。数名の兵士は火曜日に、虐殺から戻った時、ベイルズはだいたい穏やかで素直だったと証言しました。彼は命令に従い、時々、まるで自分がしたことの大きさで落ち込んでいるように、頭を手で抱えて座ったと、ある兵士は言いました。ある時、ベイルズは冗談を言い、指を銃の形にして警護する2人の兵士に向けて指しましたが、彼らは緊張を高めたと受け取りました。しかし、ベイルズは自分のラップトップコンピュータを故意に叩きつぶしたと、彼の持ち物を集めるために彼を警護するよう命じられた2人の兵士は言いました。その1人のロス・オローク3等軍曹(Sgt. Ross O'Rourke)は、ベイルズがラップトップを渡したくないと言った後で、彼のリュックサックからそれを取ったと言いました。オーロク3等軍曹は、ベイルズがそれからコンピュータをつかみ、画面を折って壊したと言いました。それはハードディスクにはダメージを与えず、調査官は情報をコンピュータから取り出せたとオーロクは言いました。オーロクはどんな情報が発見されたかについては証言しませんでした。
月曜日に、デビッド・グッドウィン伍長(Cpl. David Godwin)は、ベイルズが彼の血まみれの服を漂白するよう彼に頼んだと言いました。上等兵のデリク・グィン(Pfcs. Derek Guinn)とデーミアン・ブロジェット(Damian Blodgett)は火曜日に、3月11日、最初に攻撃されたアルコザイ村(Alkozai)から、まばらな発砲音を聞いたときに警備を交替しました。彼らは熱線映像装置を使い、この地域を照らすために照明弾を撃ちましたが、何が起きているのかを理解できませんでした。ブロジェット上等兵は基地の作戦センターに報告し、専門家はそれを監視して、彼らの方に向かってきたら知らせるように言いました。銃撃は30~40分間続いたとブロジェット上等兵は言いました。グィン上等兵はベイルズが躁うつだと思うと言いました。「ある時には、彼はとてもよい感じで、ある時には本当に怒っていたり、簡単に苛々します」。
後で、別の目撃者2人は、アメリカ人が基地から出たり入ったりしたのを見たというアフガン軍兵士2人が通訳と共に到着したと言いました。と通訳を通じて言いました。グィン上等兵は、兵士たちがアメリカ人2人が基地に到着して、1人が戻って行くのを見たと、通訳が言ったと思いだし、少し違う説明をしました。
銃撃の後、アフガン人村民の何人かは、銃撃が1人で行われたかどうかを疑いました。
ベイルズは申し立てをせず、証言しないことになっています。彼の弁護士は、冒頭陳述をせず、証拠について討議しませんでしたが、ベイルズがPTSDであり、過去のイラク派遣で頭部に脳震盪性の外傷を負ったと言いました。弁護士が同席しないで陸軍の医師が彼に会うことに弁護士が異議を申し立てたので、ベイルズは精神鑑定に参加しませんでした。ベイルズの弁護士は、彼が着ていた血まみれの服を証拠として袋に詰めた兵士を召喚しました。
シンクレア准将の事件と違って、ベイルズ2等軍曹の事件は情報でいっぱいです。この事件の詳細は、過去に何度も紹介してきました。
記憶がないと言っていたベイルズですが、事件直後に会った何人もの兵士が、彼に記憶があったらしいことを証言しました。これで、記憶がないという点は偽証だと言って差し支えありません。
ベイルズは精神的な問題を抱えていて、それが事件を起こした一因ですが、善悪の区別がつかないほどの状態ではなかったのだと考えられます。有罪判決を受けますが、多少、刑期は減らしてもらえるでしょう。
彼は上官からの信頼が厚い兵士だったので、タフだとみなされており、異常が深刻化することに、本人や周囲が気づかなかったのでしょう。
詳細は事件直後から、かなり報じられましたが、同僚の証言が公になるのは、これが初めてです。これらは公判に備えて、検察が保持したのでしょう。こういう風に、当局が事件に関する情報を管理することがありますから、報道を読み解く時には注意が必要です。ときどき、報道されていることが事件のすべてだと信じている人に出会いますが、こういう人は想像しすぎの傾向があることが気になっています。
ところで、別の話ですが、デビッド・ペトラエスCIA長官が不倫が原因で退任したという報道がありました。彼はイラク駐留米軍の指揮官を務めた人ですが、当サイトでは、彼について何度も批判をしてきました。イラク戦は目標達成は不可能と進言せず、ダラダラと戦争を長引かせた張本人、ベトナム戦争時のウィリアム・ウェストモーランド大将に匹敵する私には指揮官としては凡庸な人物だという認識しかありません(記事の一例はこちら)。日本の新聞は、お決まりの文句、「オバマ大統領の任命責任が問われる可能性がある」と書いていますが、むしろブッシュ政権時の人材を切り捨てるのには格好のタイミングです。 いまになって、日本のマスコミがイラク・アフガン戦の英雄と書き立てているのには呆れ果てます。産経新聞は反武装勢力制圧(COIN)戦略を理論構築者と書き、毎日新聞はプリンストン大学で博士号を取得した秀才と書きました。私には何のことか、さっぱり分かりません。
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